創作秘話 「倉子城草紙」として出版のあとがき倉子城物語はまとめて「倉子城草紙」として出版する。後書きにかえて 幕末の倉敷、どのように村人は生きたのであろうかと考えていたらできあがった物です。このような営みがあっても決して不思議ではないと思う。 倉敷のあり方を思うとき何かしっくりいかないものが心に波を立たせ書いてしまっていました。 わたしは倉敷の生まれではありません。家人のふるさとなのです。だけど倉敷に来て四十三年間、倉敷を見詰め倉敷を思い生きてきました。戯曲は倉敷を題材にして沢山書き上演しました。今までの吉馴悠の戯曲は殆どが今田東の小説を脚色した物です。今田東と吉馴悠はわたしにとって双子の子供のようなものです。 六十歳で今までの過去のすべてを棄てたのですが、生きる道連れに書いていました。何か温かさをお届けできればそれに越した幸せはありません。 ここに登場する固有名詞は存在するものもあり、創作のものもあり、書き手の中では架空の物であります。また、あえてこの物語に備中弁を使いませんでした。 このような読み物をどうぞと差し出す勇気はありませんが、ひとときの暇つぶしにでもなればと思います。立ち止まる倉敷の町に「よくぞいらっしゃつてくださいました」とお礼を述べながら、倉敷を訪れた思い出として食べられない名物として愛されることを願っています。 「倉子城物語」の中の一部としてここに書かせていただきました。東京で公演した四作、芸文館ホールで公演しました多くの物語、小説として書いたあまたの作品、それらは倉敷の人々の生活を書いたものでした。「林住期」を生きているわたしですが、棄てられなかった思いが残っていたことを今気づいています。 今田 東 ジャンル別一覧
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